Masuk口に入れた瞬間から、何が入っているのかを考えて、危ないと判断したら吐き出す。
でもそれが遅れれば、体に支障が出る。
どんな薬草で、どういう症状が出るのか。
どの程度なら問題なく食べられる物なのか、常に考えていなければならない。
勿論死ぬほどの量は含まれていないが、祖母はスパルタだったから、吐こうが下そうが、白目をむいて倒れようが容赦なかった。
そうして具合を悪くする度、祖母が作ってくれるのはミルクベリーのスープだった事を思い出す。
母乳に近いと言われる栄養価の高いベリー種の一つで、滋養強壮効果が高いその果実を、山羊の乳と一緒に煮込んでペースト状にしたものだ。
「あ……ミルクベリーでしょうか」
「え、食材? ミルクベリーってあの白い果物だろ?」
驚いたノエルがキョトンとしてこちらを見ている。
「あ、はい。祖母がいつもスープにしてくれていました」
「へぇ……俺達には馴染みのない料理だな。果物をスープにするのか」
「ノエルは味音痴だから、食べれりゃ何でも良いんだろ?」
「ヴィーと違って好き嫌いがないだけだ」
「あー、ヴィー様の偏食は酷いからぁ……。野営訓練の時とか、大変だったわ」
「ミレー、煩いぞ。しかし、ミルクベリーか。俺も食べた事がないな。どんな味がする?」
「味は動物の乳に似ていると思います。山羊の乳より濃いかも……」
「私も食べてみたいわ! 甘くて美味しそうじゃない? ね、ノエル」
「え……。それは俺にミルクベリーを調達して来いって言ってんの?」
「ははっ、それは良いな。王都に戻ったら、料理長に作らせてみよう。レシピは分かるんだろう? オーリィ」
「はぁ……多分、自分で作る方が早いかと……」
感覚で覚えている物を人に教えるより、自分で味をみた方が確実だ。
しかし、オルタナはそう言った後でハッと気づいた。
人を殺したかもしれない香辛料を作ったヤツが、こんな上位貴族に料理を振舞うなんて、非常識にも程がある。
「あ、すみません。出過ぎた事を申し……」
「いいや、オーリィー。お前は利用されただけだ。俺達は微塵もお前を疑ってはいない」
「そうよ。そうじゃないと一緒に食事なんてするわけないじゃない」
「ミレー……中尉……」
「まぁ、
「ノエル少佐……」
「だが、ヴィー。この後はどうする? ルアド・モリガンは暫く足止め出来るだろうが、俺達の本当の目的がバレないとは言い切れん。そうなれば教会は黙っちゃいないだろう」
「そうよ、あの老害司祭が相手じゃ、厄介どころの話じゃないわ」
「悪戯好きな団長様の思い付きで、派手に罪人扱いしたオルタナの名誉回復もせねばならん」
そう言って二人はじっとりと公爵を見る。
「何だ二人して。責めるじゃないか」
「そりゃそうですよ。こんな若くて可愛いオルタナを犯罪者にしちゃったのはヴィー様でしょう。もういっそ番にして貰ったら?」
「あぁ、それは良いな。どうだ? オルタナ、サリバン公爵の番になるか?」
「……は?」
「ヴィー様には婚約者もいないし、サリバン公爵家の番なら、教会も易々と手出しは出来ない」
「え、いや……あの⁉」
話が全く見えないオルタナは、たじろいで助けを求める様に公爵の方へと視線を遣った。
本当の目的って何だ? ってか、番にして貰えって?
って言うか、発情しないって言ってんだろうがっ⁉
「番、か……それは良いかもしれん。オーリィ、俺の番になってみるか?」
「はぁ? な、なるわけないじゃないですか!」
「おや、フラれてしまったぞ。ノエル、どうしてくれる」
「たまにはソデにされるのも良いんじゃないですか? いっつも熱の高すぎるご令嬢にうんざりされてたじゃないですか」
「そう言う血だからな」
「否定せんのかい……」
「えっ……オルタナ、サリバン公爵家の番よ? 一生安泰よ? 私達ともいつでも会えるし、お得じゃない?」
「お得って……いや、ミレー中尉……そもそも僕は……」
平民だし、罪人魔女ドーラの孫だし、発情しないし。
王家に次ぐ筆頭貴族の番だなんて、天と地がひっくり返ってもなってはいけないものだ。
「発情しないからか?」
「公爵様……分かっておいでなら、こんな冗談はこれっきりにして下さい」
「何だ、そんな事か」
「はぁ?(本日二回目)」
「だって、発情した事にすれば問題ないだろ?」
「いや、いやいやいやいや……」
「嫌だって。フラれたなぁ、ヴィー」
「嬉しそうに言うんじゃない、ノエル」
「そんなにヴィー様の事嫌い? オルタナ。まぁ、確かに軽薄だし何考えてるか分かんないもんね。でも、根っから悪い人ではないのよ?」
「いや、ミレー中尉。ちょ……そう言う話ではない様な……?」
「あぁ、辛いな。一晩で二回もフラれたのは生れて初めてだ」
「ざまぁ……」
「ノエル、傷心の友に一晩付き合って貰おうか」
「いや、俺、明日朝早い……」
「知ってる」
「嫌がらせが姑息だぞ。オルタナ、俺の安眠の為に番になってくれないか? もう一度考えてくれ」
「いや、無理です!」
「残念、ヴィー。無理だって」
「傷口に塩塗りたかっただけだろう、お前」
公爵とノエルの間でテンポの良い会話が延々と続く中、オルタナはどこまでが本当で、どこまでが冗談なのか分からなくなっていた。
オルタナは怒らせるかも、とは思っていたけれど、こんなに落ち込ませるとは思っておらず、こっちが悪い様な気になってしまった。「……別に、怒ってはないけど」「だが、手を振り払ったじゃないか……」「だって、あれはヴィー様が……丸め込もうとするから……」「別にしてない。顔色を見ようと近づいただけだ」「ほ、放って置いて欲しい時だってあるでしょ? 大体ヴィー様がいつも何にも教えてくれないから……」 責めるつもりは毛頭ないのに、責める言葉が口から零れる。「他の番の事か……?」「……分かってる。いづれはそうなるって分かってるけど」「いづれはそうなる、とはどういう意味だ?」「だって、僕にはヴィー様の子供は産めない。仕方ない事だって分かってる。誰か他の番が必要だって……」「違う! そうじゃない!」「はぇっ⁉」 急に声を荒げた公爵に、オルタナは驚き過ぎて変な声が出た。「俺がお前に“すまない”と言ったのは、あの場ではそう言う話にしておいた方が良かったからだ」「……どう言う事? って言うか、何にも教えてくれないんだから、そう思ったって仕方ないでしょ⁉」「……そうだな。すまない、オーリィ。だけど、俺は言ったはずだぞ。お前が唯一の番だと」「そ、れは……そう、だけど……」「俺はずっと不思議だった。ケルメスがお前の母君を愛妾として囲っていたのなら、妖精の様に美しいと噂のある母君によく似たお前に、もっと早く手を付けても良いはずだ。だが、ドーラ殿が捕らえられ十年経っても、ケルメスはお前を放置していた」「あぁ……うん、そう言われてみればそうだね」「それはお前が発情しないからだ」「え……?」「原初のΩの血を引いていても、発情していなければ利用価値がない」「なるほど……」 だが、オルタナはふと一つの疑問が湧いた。
「ちょっと籠る! 開けないでね!」「ちょ、オーリィ……」 馬車の中でも無言のまま帰って来て、公爵も様子を伺っているような雰囲気だったが、そう言い捨ててオルタナはクローゼットの中に籠城したのだ。 公爵の高そうな服が隙間なく並べてあり、あの花の様な香りが漂うその狭くて暗いクローゼットの中は、案外落ち着く場所だった。 夜会に出たままの服装で潜り込んだから、手探りで装飾品の類を外して膝を抱えて座り込み「ふぅ――……」と息を長めに吐いた。 おねだりしないといけないのに、こんな風に勢い任せに立て籠もって、最悪公爵を怒らせてしまうかもしれない。 それでも「溜息をつきたくなる事」くらいは分かって欲しかった。 何でもかんでも自分で思い描いた通りに事を進めてしまう公爵に、隣を歩かせて欲しいなんて、我儘なのだろうか。 庇護されるだけの豚――そう言ったナタリスの言葉がチラついた。 モリガン大佐やラカンの増強剤の事も公爵と話さなければならない。 その上、大公妃とのネロ区視察は三日後だ。 こんな所で膝を抱えている暇はない。 けれど、オルタナにはこの儘ならない感情を整理する時間が必要だった。 そうでなければまた、一人で森へ飛び出してしまいたくなる。 そうして一人薄暗いクローゼットの中で延々と思考を巡らせている内に、いつの間にか落ちていたらしい。 扉の外は物音ひとつしないし、人の気配も感じられない。 公爵は流石に諦めて、放置する事にしたのだろう。「着替えないとな……」 そう独り言を呟いて恐る恐るクローゼットの扉を開けてみる。 居ないと分かっていても、用心するに越したことは無い。 ほんの僅か扉を開けた。 その隙間から見えたのは、クローゼットの向かいにある大きな寝台の縁に腰かけた公爵だった。 居るんじゃん――――!!
「それなら、私が。最近、ラカンの元密偵に伝手が出来たので」 そう言ったのはミレーだった。 確かに、アラベルなら用意出来そうだ。「でもミレー、親父さん達は今、別の仕事に取り掛かってるんでしょ?」「……まぁ、そこは何とかします」「そう……」 そのミレーのやり取りを見て、王妃は頬を膨らませてこう言った。「ミレー中尉ばっかりズルいわ」「え?」「オルティは私の友達なのに、私の事は愛称でも呼んでくれないし、未だに敬語なのよ? ミレー中尉だけズルい!」「いやぁ……ラチア様、それは……」 オルタナはその王妃の拗ねっぷりに、これが高等技術“スネル”か……と感心した。 とは言え、王妃相手に愛称呼びはスネルより更にハードルが高い。「二人だけの時は良いでしょ? それもダメ?」「うぇっ⁉」「だって私、オルティ以外に友達いないんだもん」「……」 それはズルいぞ、王妃様。 困ってミレーの方を見遣ると、こうなると分かっていた様な顔でウインクされた。「……じゃあ、二人の時だけ」「本当っ? 約束よ?」「わ、分かった……です」「んもぅっ!」「き、急には無理……だから、許して……ラ、ラティ」「ふふ、良いわ。ありがと、オルティ」 嬉しそうに笑う王妃は、まるでただの十二歳の少女に見える。 そう見えてしまうと、焦げ茶色の良く似合っていると思っていた美しいドレスも、聊か背伸びした様に見えて来るから不思議だ。 この時オルタナは、あれだけ「得策じゃない」と言われていたのに、無駄な意地を張る事になるとは露知らず、煌びやかな夜が更けて行った。◇◇◇ オルタ
あからさまに焦った顔をして見せたノエルに、王妃は満面の笑みを見せた。「ルアド・モリガンの状況を知りたいわ」「えぇ――……それは守秘義務がありまして……」「そうね、少佐が王妃に話したとしたら処罰を受けるでしょうけど……ミレー中尉との会話を偶然何者かが聞いてしまったのなら、出所不詳で誤魔化せる」「えぇ⁉ まぁ、良いですけど」 いいんかい。 オルタナは危うくそう突っ込みそうになった。「おい、ミレー。ルアドの様子はやはりおかしいらしいぞ」 急に始まった寸劇もどきに、ミレーは慌てて答える。「お、おかしいって?」「痛みも感じてない上、正気を保っているとは到底思えないらしい」「特警預かりになったのに、正気を保っている方がおかしいでしょ」「薬物中毒じゃないかと、誰かが言ってた様な……」「えぇ⁉ 何の?」「あー、えー、それが分からないって話らしい」「こ、困ったわねぇ……」 ノエルとミレーは凄くカッコいいのに、酷い茶番だ。 余りの酷さに王妃と顔を見合わせて噴き出した。「「ぷっ……」」 ノエルとミレーは二人共恥ずかしそうに顔を背けている。「なるほど。そう言う事でしたか」「ラチア様? そう言う事、とは?」「ずっと不思議だったの。ルアドが口を割らない事もそうだけど、あの体格が異様で……」「体格? モリガン大佐は昔から結構大きかったですけど……」「でも、モリガン伯爵は&alph
「えぇ?」「自分を殺して大人の事情に付き合ってたら、ロクでもない事になるわ」「ロクでもない事……」「あ、その……オルティは私よりお兄さんで、子供じゃないかもしれないけれど……大体高位貴族の大人って自分の思い通りに事が運ぶと思ってる」「はぁ……」 オルタナは王妃の“お兄さん”という言葉に驚いた。 年齢はともかく同等かそれ以下だと見下しても良い権力をお持ちなのに。「子供は何でも自分達の言う事を聞くと思っている」「まぁ、そうですね。逆らえる気もしませんけど……」「それに、ヴィンス相手じゃ喧嘩するのは分が悪いわ」「ラチア様は王陛下と喧嘩なさるのですか?」「喧嘩……と言うか、一方的に私が怒っている事が多いわね」「でも、仲良さそうに見えますよ」「うふ、愛してるもの」「おぉ……」 堂々とそう言える王妃が、キラカの灯でより幻想的に美しく見える。 オルタナは自分のグラグラと動く弱い心を確める様に、胸に手を当てた。 公爵が子を産める番を持てと言われるのは、至極当然の事。 でもそれに覚悟が出来ていなかったのは、公爵の“唯一の番”という言葉を安易に丸飲みしていた自分のせいだ。 これから運命の番として、誰か他のΩの子を抱く公爵を寛容に許し、サリバン公爵を支える人生が待っている。 でも、それが嫌だと言って離れていく事も出来ない。 苦しくても、離れるなんて無理だ。 だって、愛しているもの。「我儘な王妃に手を焼いている王様。そう言う筋書きなの」「筋書き……?」「レイって本当はもっと優しい人。でも、優しいだけじゃ国王は務まらないでしょ。だから私が我儘を言って、それを仕方なく許すって言う茶番?」「国政が茶番?」「私が矢面に立つことでレイを守れるなら、それで良い。私はもうすぐ十三歳になるけれど、子供だと侮る者は
大公妃に加えて王妃まで一緒に行くとなれば、危険度が釣り上がる。 どんなに気が強く凛としている王妃でも、まだ十二の少女で、Ωだ。 もしも、何か大事になる様な事があれば、自分一人では対処出来ない。 あぁ、でも、護衛はついて来るはず――。 そのオルタナの心境を聞いていたかのように、ケルメスが口を挟む。「王妃様。大聖堂には抑制剤関連の機密も多くございます。銀の君の視察には、こちらで護衛を用意します故、従者殿はお連れにならぬよう」「分かっていますとも」 とんでもない事になった。 大公妃と自分だけなら自分の身をどうにか守れれば良い。 教会が大金を落とす大公妃をどうこうする確率は無いに等しいからだ。 それに、今回の夜会は大聖堂への潜入計画の一旦を担っている。 その潜入計画の陽動の為にオルタナがケルメスを誑し込み、魔女ドーラに会わせて欲しいと嘆願し、表から堂々と入る計画だった。 そこに助っ人である大公妃が現れ、運良く視察の話が出た為に便乗する事が出来ただけの事。 いつもならこんな時に我先に口を出して来そうなウケイの姿が見当たらない。 先生、居ないのかよ! 出番でしょ! オルタナは胸中で一人突っ込みしながら、思案する。 王妃も潜入計画を知っているはず。 何故、そんな危険を冒して正面から行こうと言うのか。 オルタナはまだ良く理解出来ないまま、場の状況を見守る事しか出来ない。 大公妃は閉じていた扇子を広げて、口元に翳し「私はそろそろ」と休みたい素振りを見せ、フロアの中央から退席した。「せっかくの王陛下のお誕生祭です。気を取り直して、楽しみましょう」 振り返った王妃がそう言って、こちらを見る。 後ろに控えていたミレーから「ダンスにお誘いして下さい」と小声で囁かれ、危うく「はぁ?」と返
ファージの件に加えてこの事態を知れば、あの公爵は怒り狂って何をするか分からない。 責任者として責めを受ける覚悟はあるが、そもそもファージを寄こしたのもスーランを寄こしたのもサリバン家の子息達だ。 ウケイは一方的に責を負わされるのも不愉快で、単純に教えるのが癪だ。 そんな下らない理由ではあるが、公爵に黙っている情報がある事を思い出した。 いつもの事だが、あちらもそうであるようにこちらの情報も全て開示しているわけではない。 この情報は今回の損失の補填には悪くない切り札だろう。
「……はい」 公爵のローブを被っていたとは言え、オルタナも腰が抜けて膝が笑っている。 上級αの本気の威嚇なんて初めて見た。「すまないな、怖かったか?」 オルタナはこの言葉に、辛うじて左右に首を振って答えた。 軽々と抱き上げられてアートルムの背中に乗せられ、下から煽る様に見上げた公爵の表情が優し過ぎて泣きたい様な衝動に駆られる。 木立の隙間を差す西陽の橙色と漂う深縁の香りに包まれて、髪も乱れ泥と埃に塗れた滑稽な姿でサ
その人は暗紫の天鵞絨の空に棚引く光の帯を指して、こちらに笑いかける。 何か物言いたげに見えるその人は、銀糸の髪を靡かせて白い息を吐いた。 踊り子のような青白い衣装を身に纏い、満天の星空の元立っている。 美しく幻想的なその様子をただ息を飲んで見ていたオルタナに、中性的で秀麗なその人は、碧い耳飾りを揺らしてこう言った。 起きなさい、オーリィ――――。「――――ッ!!」 ガラガラガラガラガラガラガラ…… けたたましい車輪
「了解!」「良いですか、オルタナ。出来る限り後方へ、木を狙って投げなさい」「木を?」「木にぶち当たった方が、衝撃が強く飛散します。君は道の右、私は左を狙って行きますよ」「はい、先生」「スーランッ! 走れ――――っ!」「ハッ!!」 ウケイの合図を皮切りに、スーランが手綱を強く弾いた。 荷馬車の速度が上がり、オルタナは持っていた果実を振りかぶって投げる。 腕力がないから思う程遠くへ飛ばず、ウケイの様に上手く木を狙えない。